血のバレンタインデー
今日はバレンタインデーである。

バレンタインデーで思い出すのはアル・カポネとバグズ・モランの抗争事件「バレンタインデーの虐殺(別名:血のバレンタインデー)」である。1929年、シカゴでのことだ。
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世を震撼させた事件とはいえ、しょせんは他人ごと、俺には関係ない。当然である、俺は1955年生まれで、1929年では精子にも卵子にもなっちゃいない。

もうひとつの「血のバレンタインデー」事件がある。これは大阪・心斎橋のことで、俺が直接関わっている。俺にはちょっと誰かの血が付いたくらいだったが、数人いた相手はみんな血まみれ。でも、誰も死んではいない(たぶん)。

当方は、親友のS、Sの兄貴(実のお兄さんってことね)の友達で、ミナミをシマとする某広域団体系某組の若頭Aさん(ホンモノ)、Aさんの下で借金の取り立てを生業(ここではナリワイと読んでくれ)としているNちゃん(ちゃん付けであるが、当時すでにかなりのおっちゃんで、もう故人)、当時ラリーで俺のナビをやってくれてたBさん、俺の5人。

抗争の相手はサラリーマンの10人はいなかったと思うが、こちらの倍くらいの人数のネクタイ・スーツの集団。

我々5人はバレンタインデーとのことで、スナックやらクラブやらバーやら、飲み屋のはしごをし、店のおねーちゃんからのチョコレートで紙袋をいっぱいにして、ほろ酔い気分でへらへら心斎橋を歩いていた。

Nちゃんがぶつかった、ぶつからないってことで、トラブル発生。サラリーマン集団のうちのイチビリ(かっこつけたがり、とかいうニュアンスかなぁ。大阪原住民の方、ほんとのとこを教えておくれ)が因縁をつけてきたのだ。そのNちゃん、どうみてもヨシモトのお笑い芸人みたいにしか見えないから舐められたんだろう、ちょっと一人離れていたし。

後ろには伊吹五郎をちょっと肉付きよくさせたような目つきの鋭い男前のA若頭、180cmで100kgを超える巨漢のBさん(当時トラックドライバー、素人)、田村正和をやくざ者にしたようなS(医学生)、それに今でこそ優しそうな好々爺だが当時はギラギラしてた俺と、一見してヤバそうなの4人も控えていたのに…。

Nちゃんも適当にあしらい、我々も後が面倒だから適当に謝ってその場を去ろうとしたが、サラリーマン集団うちのひとりかふたりが、よしゃいいのに酔いと人数にまかせて因縁をつけ続けてきた。Aさんが止めに入ってバランスを崩してこけた。

俺も「まぁまぁ、悪かったな、にぃちゃん、そのへんにしときぃな」とかいいながら間に入ったんだが、ひとりが「おのれは関係ないやんけ、黙っとれ」とかいって、俺を押しのける際、それまでのもみ合いで誰かが血を流していたらしく、押しのける手についていた血が俺のジャケットだったか、シャツだったかについた。

こかされて頭に来たAさん、血を付けられて頭に来た俺、もう止まらない。瞬く間に数人が血にまみれて倒れたが、まだ立ってたひとりが俺に殴りかかってきた。かわしつつ、そのボケのボディに一発、かがんだ相手の髪の毛をつかみながら引き起こして、胸部に蹴り一発。ボケはそのまま地下の飲み屋に降りていく階段の手すり越しに頭から階段の途中に落ち、下まで転げ落ちて動かなくなった。

わ、ヤバ!

と、青くなってる俺を、Aさんが「はよ逃げ、おまわり来るで、捕まりとなかったら、はよ逃げぇ!」と引っ張り、少し広めの道に出し、タクシーに押し込んでくれた。

このとき、タクシーの中でなぜか考えてたことはふたつ。やーさまは本気出すと喧嘩強い!やーさまは逃げ足が速い!ってこと。なんでこんなこと考えてたんだろ。かなり動転してたんだろうな。

で、三々五々、Sの兄貴のやってるパブに集まって、お互いの無事と逮捕者のないことを祝ったわけだが、当日は強がっていた俺も、翌日以降、毎日新聞の社会面、テレビニュースで死者が出てないかどうか、一週間ほどビビりながらチェックしてた。どうやら死者がなく、追及の手も伸びてこないことがわかって、ほっとしたのは、ほぼ一ヶ月ほどしてからであった。

あんなに毎日じっくり新聞を読んだことはなかった。

青春時代の懐かしい一コマである。
by nawakatsunori | 2006-02-14 12:41 |
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