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エミリー・ローズ:この映画はホラーではない、統合失調症の記録である
「この映画はホラーではない、実話である。」というのがキャッチフレーズの映画『エミリー・ローズ』を観てきた。

たしかにホラーじゃねーな。統合失調症の症状を記録したものだし、実話だろうさ、そりゃ。

精神科医ではないから、観ているときは断言できなかったけど、20年以上前にならったおぼろげな記憶ででも、「え?これって、みんな精神分裂病(現在は統合失調症と病名変更)の緊張型で説明つくじゃん」と思ってた。で、昨日は旧い教科書やWebで統合失調症、精神分裂病を調べてたから書けなかった。

うん、やっぱり精神病理学的に説明可能だ(と思う)。

ホントにド田舎の荒野の一軒家に暮らす家族の長女が奨学金を得て都会の大学に行く。そこでepilepsyと思われる症状を示すようになり、次第にcatalepsyと思われる不自然な姿勢をとり続けるたりするようになる。幻覚・幻聴・幻臭などを知覚するようになる。薬はまったく効かない。のちに裁判の中で明らかになるのだが、叔母(エミリー本人のだったと思うけど…もしかすると父親のかも)が病名は明らかではないが精神病歴がある。

つまり、急激な環境の変化で素因(一般の有病率は0.8%程度であるが、分裂病の親を持つ子供の分裂病有病率は17%ほどで、孫は3%、一卵性双生児の分裂病一致率は80%であることなどから遺伝要因は否定できない。 しかし、正確な遺伝様式はまだ不明であるし、遺伝のみが病因とはいいかねる。:「精神分裂病」より引用)のある少女が緊張型統合失調症を発症したということで説明がつく。

さて、いよいよ悪魔払いが行われる中で、アラム語(キリストやその弟子たちが話していたといわれる言葉)やラテン語やいくつかの言葉で神父をののしったりする。

これはどう説明するのかと考えていたら、ちゃんと裁判の中で種明かしがされる。なんだ、やっぱり精神病理学的に説明可能じゃないの。

さらに、抜毛等の自傷行為も明らかになり、聖痕(stigmata)も現れ…などなど、あまり詳しく書いちゃうと、これから観ようと思ってるひとに失礼だから、ここらでやめときます。ま、観に行く予定の方はぜひ統合失調症の基礎知識を調べておくべし、とだけ書いておこう。

蛇足だけど、聖痕は手のひらに現れるが、手のひらに釘を打ったのでは体重が支えられず、十字架に懸架するのはムリだとか。ホントの聖痕なら、手首あたりに出てこなくちゃね(映画の中では聖痕がどうして現れたかが、示される)。

アメリカ合衆国の裁判は検察と弁護士のパフォーマンス大会みたいな側面があるらしい。悪魔払い(と、それに基づく殺人?)は犯罪であると立証したい検察、悪魔払いは正しい(すなわち悪魔は実在する)と証明して無罪を勝ち取りたい弁護士、この両者の駆け引き、陪審員に対するアピール(パフォーマンス)は、けっこう見応えがあったし、ラストの陪審の健全な評決と、それを受けた裁判長の粋な判決にはうならされ感動した(ネタバレになるから書かないけどね)。

いみじくもLaura Linneyが演じる弁護士が自らを「agnositic(不可知論者)である」と何度もいい、最後までいっているが、弁護士自身は不可知論者でそういう超常現象を疑っている。対する検察官はメソジスト派だったか何かで(忘れた。被告人のカソリックとちょっと違う宗派だってことだけわかればいいみたい。主席検事を選任する場面で、なんとなくそう臭わせてる)、裁判の冒頭で自らを信者だと明言する。こっちは神や悪魔を信じてるってことだ。

信じてない(ってか、不可知だと考えている)弁護士(ってわりには超常現象を体験しちゃったりしてるけど…映画ですから)が、信じてる検察官に悪魔の実在・悪魔払いの正当性を主張する。逆に言えば、信じてる検察官が信じてない弁護士に悪魔の不在(と、までは云わないけど)・悪魔払いの不当性を訴える。その逆転の構図の妙が、この映画のひとつの見所であると思う。

神や悪魔を信じる信じないはどうでもいいわけだ、要するに。パフォーマンスを通じていかに陪審員に自分の主張を信じさせるかが問題なんだよね、陪審裁判制度って。日本でもそのうちそうなるみたいだけど、この映画の中の陪審員みたいな健全な判定が下せるのかね、我々日本人は。

もうひとつのポイントは、主要な登場人物に悪意のある人がいないってことね。被害者のエミリー・ローズも、その家族、彼氏はもちろん、被告の神父もみな善意の人。エミリーは神父を信じてるし、親も神父にすがってる。弁護士も別の裁判で悪党を弁護して無罪にしてしまったことを後悔していて、明らかに悪意のない神父を救いたいと思っている。検察官もその裁判に心苦しさを感じつつも職務を果たさねばならない義務を負っている。最近珍しいね、いいひとばっかりって。だから、裁判長の裁決がなかなか粋なものと感じたのだと思う。

そういう裁判ものとしてみたら、俺には面白いと感じさせてくれる映画だった。

※特に若い人たちは、オカルトものとして観てはいけないと思う。この世の中に不思議なものなどないのだよ、セキグチ君(京極堂の真似)。
by nawakatsunori | 2006-03-23 15:50 |
そんなに長く体内に残る薬物ってあるのか?
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財団法人 日本アンチドーピング機構のホームページで「一目でわかるドーピング検査」を読んでみると、

少なくとも7日以内に使用した薬物及びサプリメントなどを申告してください。

と、なっている。そうだろう、一週間以上も残る薬物なんてないんじゃないか?

中国戦好投の中継ぎ・朴明桓が薬物失格によれば、

「昨季後半から肩が痛くなり、注射を打ったり薬を飲んだりした。それが今回のテストで摘発されたようだ」

 朴は韓国メディアにこうコメントした。

と、あるが、昨季後半?いつのことだ?一週間前ってこたぁねーだろ?

腎機能障害でもあるのか、朴?あるはずねーよな。仮にあったとしても、何ヶ月も残留するかよ。以前、病院勤めのころ、MRSA肺炎の治療で、バンコマイシンなどの至適投与量を決めるのにTDMをやっていたから、多少調べたことがある。う〜ん、そんなに長く残留する薬物ってあったかなぁ?

禁止薬物リストをみてみたが、ありすぎて全部なんかとても調べる気になれない。

以前、世田谷の病院で某Jリーグチームの検診を請け負ったことがあったからみで、その後も風邪や気管支炎等でそこの選手が受診することがあった。ドーピング検査にひっかかったりするとヤバいから、いわゆる”指定物質”つまり、「不注意でドーピング規則違反を起こしやすい薬物、あるいはドーピング物質としては比較的乱用されることが少ない薬物」(気管支炎などで使うことのあるエフェドリン、喘息を持っている選手に使うベータ刺激剤など)をチェックして処方箋を切っていた。

やむを得ず処方する場合は、MR(製薬会社の、薬剤情報を知らせてくる人)さんに教えてもらったドーピング検査にひっかからないように、試合前○○日は服用しないようにと指示していた。どれも期間はせいぜい一週間くらいだったと思う、もう覚えてないが。

興奮系の麻薬や覚醒剤、筋肉を増強するためのステロイドなどは論外だから、残留する可能性のある期間なんか調べたこともない。

公害などで問題になる有機物なんかだと、かなり長く残留するから問題になるんだろうけど、本来医療に使うべき薬剤で、そんなに長持ちしてるのってないんじゃない?肩の痛み止めの注射や内服薬って、そんなに長く残るかなぁ?

勝ちたい気持ちはわからんでもないが、薬物はまずいんじゃないの、朴明桓(パク・ミョンファン)投手?

で、関連記事を見たら、

 朴は昨季、斗山のエースとして20試合に登板。11勝3敗、防御率2・96の成績を残していた。兵役不正免除問題で、海外キャンプに参加できなかったという経歴もある。

なんてのもあった。

どうも、こいつ、不正の常習犯みたいな感じだな(←独断と偏見だけど)。

ま、6−0で日本が韓国に勝ったから、もうどーでもいいんだけどさ。

どなたか、薬物の残留期間に詳しい方がいらしたら、ご教示ください。
by nawakatsunori | 2006-03-19 21:53 |
子曰 民可使由之 不可使知之
「民可使由之、不可使知之」は、よく「人民は従わせればよい、知らせる必要はない」と謝った解釈をされているが、本来は、

子の曰わく、民は之(これ)に由(よ)らしむべし。之れを知らしむべからず
(先生が言われた、「人民は従わせることはできるが、その理由は理解させることはできない」 )

と解釈するべきものなのだそうだ。前の「べし」は命令の、後ろの「べからず」は可能の助動詞として読まねばならないらしい。だから、知らせることはできない、であって、知らせてはならない、ではないのだ。

この裏にある、孔子先生の深い考えは「(指導者は)人徳を磨き、民の信頼を得て導かなければならない。政策(等の)情報を全て民衆に教え浸透させるのは不可能だからだ」ということで、言外の「人徳を磨き云々」、つまり徳を以て政治をせよというのが眼目なのだという。



『取材源秘匿認めず』 東京地裁決定の波紋東京新聞
内部告発の動きにフタ


 米連邦地裁から証人尋問の嘱託を受け、取材記者を尋問した東京地裁(藤下健裁判官)が、取材源に関する証言拒否を認めない決定をした。情報源が公務員の場合、情報漏えいという犯罪行為に加担するに等しい、というのが理由だ。役所や政治家などの“監視”はメディアが担うべき役割だが、どうやら、お上を信用し、余計なことはするなということらしい。「決定」が投げかける波紋とは−。
<後略>
(本分のボールドによる強調は縄)

これ、個人情報は保護し、公的情報は公開するという風潮にまったく逆行するもので、実はかなりヤバいことだよね。

俺なんかが言うより、本文の櫻井さんとか、鳥越さんとかのコメントを読んでいただくほうがよくわかると思うから、敢えてコメントはしないけど。

あ、この件、裁判官が公務員だからってことでぎゃーぎゃー(だっけ?)云うわけじゃないよ。前の「公用車、料理店前に4時間」のこともホントはそうなんだけど、公務員ヴァーサス医者云々なんて次元の低い話じゃなくて、悪事を敢えてするのと、やむを得ず悪事のようになってしまったことの差ね。

公用車を私用で使うのは「悪いと知ってて敢えてやること」、加藤先生みたいに「一生懸命、努力し、救命に努めたけど結果が悪かったこと」、この両者には歴然とした違いがある。

先日、医者が急いでてひき逃げしたってのがあったけど、こんなのは話にならない、敢えてやってるんだから。強いて書くほどのニュースじゃないから取り上げてないけど。

それはさておき、この裁判官、藤下健ってひとらしいけど、

「表現の自由に嫌悪感を示す裁判官が、より上位法である憲法に保障された表現の自由との兼ね合いを、きちんと検討せず、都合よい条文をつまみ食いして自分好みの結論に導く例が増えている。高裁段階で判断が変わる可能性もあるが、不安も残る」

と評されるように、敢えてやってると思う。だから批判してるんだよ。俺も程度は低いんだろうけど、この藤下ってのも相当程度が低いね。

俺たちを信頼させるほどの人徳を磨いて由りやすくさせてくれよ、お上。

それから、孔子の時代と違って、今は知らせてくれればほとんどの国民が理解できるんだから、「不」を除いて「可使知之」として、情報も知らせておくれ。
by nawakatsunori | 2006-03-17 12:18 |
人気の関節炎治療サプリ、痛み和らげず
グルコサミン・コンドロイチン硫酸の関節症に関する効果は中等症・重症に限定的効果(しかも、併用時のみ)
昨日、某医療系メーリングリスト(ML)で知ったことだが、この頃、大々的に宣伝されているグルコサミンやコンドロイチンには痛みを緩和する効果がないという。
http://www.jc-press.com/kaigai/200602/022401.htm
先日のビタミンDなどの話に続き、またもや健康神話が覆ったわけだ。

尊敬する(これは皮肉でも何でもなく、ホントに尊敬してるって意味。俺が「尊敬する」なんていうと、深読みして皮肉じゃないかと思うムキもありそうだから、敢えてホントだと宣言する)、牧瀬先生という方がいらっしゃる。
この方は本当にEBM(Evidence Based Medicine:証拠に基づく医学)を実践しておられる方で、以前、さっきのと違う某医療系MLで、さまざまな医療における疑問や質問に対し、的確なコメントをしてくださったり、新しい知見をこれまた適切・的確な文献を引用されて紹介してくださったりしていた。
検索ロボットが集めてきた網羅的なものや、いい加減で通り一遍の浅薄な文献引用ではなく、本当にじっくり読み込まれて消化されたものをご紹介くださるので、そのMLでは牧瀬先生のものはじっくり読むが他は読み飛ばし、斜め読みしていた(ま、MLから流れてくる情報量が多すぎて、他のMLでもだいたいそうなんだけどね)。

ある事情から、そのMLでの投稿をおやめになったときにはがっかりしたのだが、ちゃんとブログを書いてらっしゃることがわかり、かえって夾雑物がないぶん、よかったと思っている次第である。RSSフィードリストにいれてあるから更新があればすぐに読みに行けるし。

それはさておき、その牧瀬先生がこのこともちゃんと書かれていらっしゃった。やっぱりすごい方です。
http://intmed.exblog.jp/3241819/
専門的なことが多いから、医療関係者じゃないと読むのがつらい面もあるかも知れないけど、わかりやすく書いてくださってるし、医療を取り巻く状況への社会時評などもあるし、医療関係でない方にも読んでいただきたいブログです。
http://intmed.exblog.jp/

ニッポン消費者新聞の記事を流し読みしたら「まったく効果なし」みたいに読めなくはないが、牧瀬先生のものを拝読すると、そうではなく、「効果が弱い」のだということがよくわかる。

いずれにしても、健康食品のたぐいの情報には今後も眉につばをつけながら、ウラを取っていく必要がありそうだ。
by nawakatsunori | 2006-02-28 11:45 |
佐藤雅美『信長』、こまねく、こまぬく、こまねち?
文春文庫2月新刊『信長』佐藤雅美(まさよし)著

信長ファンを自認し、歴史上の人物でもっとも好きで尊敬する人物が信長である俺は、電車の中吊り広告でみつけて、気になっていたのだが、先週末購入。読んでいて気になって仕方がないのが「拱く」のルビ。「こまねく」となっていることである。何度も出てくる。

大辞林 第二版 (三省堂)

こまぬく 【拱く】<

(動カ五[四])

(1)両手を胸の前で重ね合わせる。腕を組む。もと、中国の敬礼の動作。
「はてなと思ひ、暫し腕―・き/怪談牡丹灯籠(円朝)」

(2)手出しせず傍観する。なにもしないで見ている。こまねく。
「手を―・いて見物している」

これは本来、「こまぬく」でなければならないはず。(2)を見ると「こまねく」でもいいみたいになっているが、「こまねく」で引くと「こまぬく」をみよとなっている。大辞泉で引く。

こまぬ・く【×拱く】
[動カ五(四)]

1 腕組みをする。

「手ヲ—・イテ立ツ」〈和英語林集成〉

2 (「腕をこまぬく」などの形で)何もしないで傍観する。「手を—・いて待つ」

こっちは「こまねく」はない。

こまぬいた場合、手を出さないのだが、こまねいたら手を出して招いているような印象を受けてしまう、俺だけかも知れないが。子、招く?小招く?「こまねく」だと、どうしても、そういう字面が浮かんできてしまう。

「こまぬく」「こまねく」なんてのをずっと考えてたら、ふと「こまねち」が浮かんできた。本来の人名ではなく、ビートたけしがギャグに使った、手でハイレグを真似るポーズが浮かんできたのだ。これも手を出さないとできないね。

ま、それはさておき、この本で新たになった知識がいくつか。桶狭間合戦、長篠合戦についてである。

桶狭間というと、「奇襲」で自軍の10倍とも云われるの戦力の今川義元軍を打ち破ったということばかりが強調されてきたように思う。たしかに奇襲だったことは間違いないのだろう。気になって、さっきWeb検索をしてみると、やはり「奇襲」ばかりが目につく。ざっと検索しただけだから、もっとじっくりやれば別の視点からのものも見つかるのかも知れないが、そんな悠長なことはしてられない。

いわゆる「奇襲」のちょっと前くらいのことは、けっこう詳しく記述・解説してあるものも見つかるが、この『信長』に書かれているような、一年がかりで周到な準備をして今川義元を「奇襲しやすい場所、すなわち桶狭間に追い込むようにした、なんてのは見あたらなかった。これまで読んだ他の小説などでも、なかったように記憶している。

たぶん、「奇襲までの周到な準備」は、佐藤雅美の思いつきではない。佐藤氏は史実を周到に検討した結果、この結論に至ったのだと思う。史実を並べて、詳細に検討を加えながら小説に仕立てている。歴史学者がどこかでそのような結論を出していた可能性もあるが、俺は佐藤氏の仕事に賞賛を送りたい。奇襲に至る道筋が実にわかりやすく描かれているからである。

前々から奇襲、奇襲っていうけど、東海の雄、今川義元ともあろうひとが、いくら急に襲われたんだとしても、簡単に勝負がつきすぎておかしいとは思ってたんだよね。僥倖もあったとは書かれているけど、今川の侵攻を一年前から知っていて(史実にあるらしい)、隘路に誘い込むように準備をしていたからこそ成功した奇襲だったと知って、合点がいきました。

もうひとつ、長篠合戦で三段構えの鉄砲連射によって武田騎馬軍団を打ち破った話。これは以前、何かで信長オリジナルではないと書いてあるのを読んだような覚えがあるが、この『信長』では、オリジナルが丹羽長秀の二段構え鉄砲連射にあると書かれていた。これはたぶん有名なことなんだろうね、俺が知らなかっただけで。

これで俺は丹羽長秀を見直してしまった。それを発展・進化させた信長をやはり偉いと思うのは変わりがないが。

それから、新たな視点を開いてくれたことではないのだが、うまい方法だと思ったのが古文の引用。は新潮社、秋山駿著の『信長』全国書店ネットワーク e-honで、その本の[要旨]欄に

識(原文のまま)田信長の天才性とは何か。桶狭間から本能寺まで、信長の傑出した行動を、東西の古典を縦横に引き、シーザー・ナポレオンと対比しつつ、詳密に読み解く。

と、あるように、「東西の古典を縦横に引」くのはいいが、長文がそのまま引用されているため、日頃、古文に慣れ親しんでいない俺には読むのがつらい面があった。もちろん、この秋山『信長』もいい本であって、好きな本のひとつではあるのだが。

佐藤『信長』の古文の引用で、たとえば武田信玄の遺言は、

遺言はさらにこうもつづく。
<典厩、穴山両人は勝頼に屋形のごとくに仕えて、執事せよ>
典厩は武田左馬頭信豊。穴山は玄蕃頭信君(梅雪)。いずれも一門衆の二人は勝頼の家老となって勝頼を助けよ。
<相構えて、四郎(勝頼)合戦、数寄に仕るべからず>
むやみと勝手に合戦をするな。
<信玄のよろず工夫、思案、遠慮を、十双倍(十倍)気遣いせよ>
これは字義どおり。
<必ず、卒爾なる働きすべからず>
決して粗忽なことをしてはならぬ。

と、短い文に区切り、現代語訳を並べている。これはとても読みやすいし、わかりやすい。

※ぱっと開いたページで適当に選んだので、あまり例としては適切でなかったかも。これなら現代語訳併記でなくても、だいたいわかるものね。

併記でないものは、「なんたら(こういう意味だよ)、かんたら(これはこういう意味ね)」と、古文(現代語訳)、古文(現代語訳)、古文(現代語訳)…と短く切って、かっこ内に訳を入れるという形にして繋げている。これも読みやすく、わかりやすいと思った。

逆にわかりにくいと感じたのが一カ所あった。文庫下巻P.167にある条、

…毛利はこのことを知り、吉川元春が謙信の重臣直江景綱に、木津川での大勝利を報じるとともに、信長分国への出馬をうながした。

この吉川元春、毛利三兄弟のひとりで、例の三本の矢のたとえ話(一本なら折れるが、三本なら折れない。兄弟三人で力を合わせなさいってヤツ)で毛利元就に教育されたひとだってことを知ってたから、何気なく通り過ぎるところだった。
元春さんは何番目だったっけ?って疑問がわいたので立ち止まった。ん?これ、吉川家が毛利家の分家だったか何かで、養子か何かに出されたひとだよな、ということは長男ではないだろう、ってなことで調べてみた。

Wikipediaには、

元春自身は大江姓毛利氏の当主 毛利元就の次男である。母方が吉川国経の娘であり、その関係から吉川興経の養子として送り込まれることとなる。
吉川氏は藤原南家の流れを汲み、鎌倉幕府御家人として駿河国に住すも数々の戦功を立て、安芸国に所領を得た。(詳細は吉川氏の項を参照)

とある。こんなに詳しくなくても、このことを知っている者にはいいが、知らない人には毛利が知ったのに、吉川が出馬要請をしたって何?と思ってしまうのではないかと思った。

なんとも唐突な感じがする。もしかすると、このページ以前に毛利家の家系のことが書かれていたのかも知れないが、いくら好きでも趣味で読んでる小説にすぎないものなど、主として電車の中で、かなり速読でさっさと片付けちまう俺の読み方では目にとまってない。

P.192になって、「…四月も半ばのことで、毛利、吉川、小早川の毛利三家に宇喜多がくわわって…」と出てくるが、順序が逆でしょう。毛利三家のことが先に来なくちゃね。

※あったのかも知れない、そんときゃごめんよ。→佐藤雅美先生

ま、こまねちの、きっかわのと、いろいろケチもつけたけど、総体としてはいい本でした。
by nawakatsunori | 2006-02-24 23:55 |
やはりネクタイはダメ!
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大学の医局などではネクタイを着用しないとダメってとこもあったけど、やっぱり意味がないことだった。そういう堅苦しい教室には入ろうとも思わなかったけどな。

もとより堅苦しい服装は嫌いだし、俺がスーツを着てるとヤクザみたいになっちゃうし、診療の時は着たことがない。いつも「手を洗い、清潔で目の細かい木綿など感染の可能性を最小限にする服装をし、そしてネクタイのような意味のない慣習をやめれば、大きな違いが出るはずです」を励行してる。

今はクリニックで、持ってる意味がないから感染制御医の更新はしなかったけど、病院勤めだったときは感染対策委員、委員長など、ICD(Infection Control Doctor)をやってて、白衣を着るなら頻繁に着替える、ガウンタイプの白衣の前はボタンをきちんとしめてヒラヒラさせない、頸から上に手をやらない(感染源となりうる髪や髭などに触れない)などを言い続けてきた。

ネクタイはたぶん意味がないどころかヒラヒラして感染症を持っている患者さんに触れて病原体がくっつき、次の患者さんにもヒラヒラ触れて移してしまうんじゃないかと思ってた。ガウンタイプの白衣をヒラヒラさせると同じことが起こるわけだから、どう考えてもネクタイだって同じだよ。

健康人にはなんでもない黴菌だって、免疫力の低下した患者さんには大きな脅威になる。俺のネクタイに付いた黴菌は俺には何もしないだろうけど、それに触れた免疫力の低下した患者さんは病気を発症してしまうかも知れない。発症しなけりゃラッキーってだけだ。

いつも俺は木綿のオペ着で仕事してるんだが、某群馬の病院の院長は、それが気に入らなかったようだが、俺の仕事着がベストだったってことじゃねーか。喧嘩してやめてよかったぃ。

いつ緊急で止血処置のための血管造影をするかわからない、そんなこともあって常時オペ着にしてた。血や汚物をいつ被るかわかんないのに私服でなんか仕事ができるか!

で、クリニックでもオペ着。子供さんに何度もゲロ吐きかけられてるし。σ(^◇^;)
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by nawakatsunori | 2006-02-21 10:29 |
お願いしますよ、各国の政治家の皆さん
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日本だったら首相はじめ、全閣僚が土下座して謝って、当人はクビだろうな。

風刺漫画をTシャツに印刷 伊閣僚がテレビで披露
2006年 2月18日 (土) 08:10 (共同)

 【ローマ17日共同】移民排斥論者として知られるイタリアのカルデロリ制度改革相がイスラム教預言者ムハンマドの風刺漫画を印刷したTシャツを着てテレビ出演するなど、イスラム教徒らに挑戦的な言動を続けている。ローマ駐在のアラブ諸国大使が17日、フィーニ外相に面会を求めるなど波紋は拡大、ベルルスコーニ首相にとって頭の痛い案件になってきた。

ANSA通信のインタビューでカルデロリ氏は14日「イスラムとの対話などというおとぎ話は捨てる時だ。今日からTシャツを着る。希望者にも分ける」と発言。翌日の国営テレビにはワイシャツの下に着て出演し、ちらりと漫画を見せた。

湯水のように使う、なんて言葉が普通に使われる日本。水は基本的にただみたいなものだと思っている日本。気候は概ね温暖で穏やかな日本。水なんて薬にしたくてもなかなかないような中東の国々。日中は信じられないくらいの酷暑で夜は冷えまくる中東の国々。

日本みたいな狭い国でも気候風土が違うと性格的に地域性があると云われる。日本と中東とでは気候風土に相当な差異があるわけだから、性格・性行に差が生まれるのは当然だろう。個々人の性格は国によってなどではなく決まるとは思う。激しい性格の日本人もあれば、穏やかな中東の人もいるだろう。しかし、総じて日本人は穏やか、中東あたりの人たちは激しいという印象がある。

そりゃそうだよな、何となく生きていけないことはない日本と、生きていくための水を確保するだけでも一苦労どころじゃない苦労のある国々では国民性・民族性に差があって当たり前だ。

宗教だって、神は遍く存在するという汎神論的な日本の神道と、絶対神があるとするイスラームとはぜんぜん違うわけだ。これはやはり気候風土に根ざす心性から生まれるものだろう。キリスト教やユダヤ教もイスラームと同じあたりで生まれていて、しっかり調べて勉強したワケじゃないから、さほど詳しくもないが、浅く知る限りでは唯一絶対神に無条件で帰依するという点では同じなわけで…キリスト教諸国とイスラーム諸国の対立は一種近親憎悪みたいなものなのだという。骨肉の争いだけに、憎悪もより激しく強くなるんだろうな。

路傍の石ころにも神が宿り、人は死んだら清められてみんな神様になる的な宗教観があり、強い自己主張をせず和を以て尊しとなす国、日本。自己主張をしなければ生きるのも難しいが、それだけではまとまらないし、厳しい自然という敵から身を守るため、唯一絶対神を規定し、それに従うことで和をなし、戦って身を守ろうとする人たちの国。まったく正反対だ。

これはどちらがいいとか悪いとかの問題じゃない。価値判断はおいといて、そういうものなのだろう。強いて価値判断するなら、生まれ育った日本の心性に共感するのは当たり前だが。この不信心な俺でも神社という聖域にはいれば何となく手を合わせ祈りたくなったりもする。

乱暴なヤツもいれば、いたずら者もいる、自然という神様たちをなだめすかして折り合い付けて、自然と寄り添って生きてきた日本人と、絶対神の力を借りて自然という敵を克服すべく戦ってきた連中では、生き方そのものがぜんぜん違うわけだ。

だから宗教は理屈じゃない。生き方そのものなんだろう。説得してわかってもらえるなんてことはないんだろう。これからも俺は、悪く云えばいい加減な宗教観で生きていくだろう。キリスト者やイスラームの、よく云えば厳しい宗教観にはついていけないし、説得しようとも思わない。短い人生、そういった無駄なことはしたくないからね。

#ま、無駄なことは必要だと思う。だから、俺はもっと有意義な無駄をしたいね。

俺でも、その厳しい宗教観、そういう考え方があるんだくらいは理解できる、諒解可能だよ。イスラームやキリスト者の人たちも、我々の宗教観に従わなくていい(って、従うはずもないけど)から、そう言う考え方もあるくらいはわかっておくれ。

否応なしにそういう国々と渡り合わなくてはいけない日本の政治家の皆さん、穏やかなのはいいが、もう少し自己主張して国益を守るようにしてくれよ。政治家といえども「優しい日本人」だから、ムリだなんて云わずにさぁ…少しくらいカルデロリさんの真似してもいいように思うけどなぁ、俺。
by nawakatsunori | 2006-02-18 13:34 |
ツールとしてのメール
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昨日の日経BPインタビュー記事で、『ケータイを持ったサル』などで有名な京都大学霊長類研究所の正高信男教授が「日本人にとってケータイは“自我の一部”」だとご高説を垂れていらっしゃるけど、そうか?

この記事の事例からはそういう面があることも否定しないが、メールの多用は日本人の奥ゆかしさに起因してる点もあるんじゃないかと考えている。

だって、電話って暴力装置でしょ、一種の。眠ってるときだろうと、性行為のときだろうと、うんこしてるときだろうと、飯食ってるときだろうと、相手の都合なんぞにいっさいお構いなしに呼び出しをかけてくるっての、暴力的だと思わないか?

メールならヒマを見て読んで返事も時間があるときにすればいい。忙しいヤツに連絡とるときはまずメール、これが現代の常識だと俺は思ってる。

友達に急ぎで電話することはあるけど、そう急がないときはまずメールで何時頃かければいいか尋ねて、指定の時間にかける。指定の時間にかけるときだって、今、話をしても問題はないかと聞いてから本題に入る。いくら親しい相手だって、相手の都合に合わせるのが当然だろう。電話したい用事があるってのはこっちの都合なんだから。

この記事の終わりのほうのリンク先のプレミアム記事には

──日本では、ITの普及によって、コミュニケーションにおいてはどういった変化が起こっていると思われますか。

正高: 例えば、教授の隣の部屋にいる学生がメールで連絡をしてきたりします。電話すらしません。「なぜ?」と聞くと、「顔をつき合わせて会話をするのは疲れる」と言うのです。

 日本人は、相手の顔を見てその人の気持ちを読みながら、人とコミュニケーションをとったり、自分の気持ちを表現したり伝えたりすることすら、厭うようになってきているのです。これは一種の“引きこもり”と言えるのではないでしょうか。

というのがあるが、俺は顔をつきあわせて話をするのが苦手どころか、いろんなひとと顔つきあわせて話がしたいと思う気持ちのほうが強いくらいだ。ネット上だけでのつきあいなんてのは、どちらかといえば嫌いだよ。

そういうこととは違って、相手の都合を考えたらメールで連絡、しかる後に電話、かくしてアポを取って会う、という手順を踏むためにメールを使ってる者もいるんだよね、教授!

モバイルポイントも充実してきてる昨今とはいえ、どこでもパソコンがネットに接続できるわけじゃない。ケータイはほぼどこででもつながる。だったらパソコンメールよりケータイメールを使うのもいいんじゃない?

まぁよく読めば、ケータイメールは単なるツールだと認識して使えってことだとわかるんだけど、アイキャッチのためとはいえ、「日本人にとってケータイは“自我の一部”」とまで言い切るのはどうか?

閑話休題

以前、ファミマに文句をつけた。たぶん、その返事だろうと思うが、電話が来た。クソ忙しい中、やっと昼休みになったてぇのに、なぜ電話なんかしてくるかなぁ。

Webから文句たれてるんだから、通常はemailでしょう、連絡は。訪ねてくるならまだしも、電話はないよ、電話は。いまどきメールだと失礼なんてこたぁねーよ、電話のほうが却って失礼だと思うぜ、俺。
by nawakatsunori | 2006-02-10 12:50 |
シャーデンフロイド
ホリエモンが逮捕され、ざまぁみろと思ってるヤツがいっぱいいるみたいだ。

娘はどうも虫が好かないと思ってたらやっぱり悪いヤツだった、みたいなことを云っていた。
俺はどちらかというと好き勝手にやっててオモロいやっちゃと思ってた。つまり、好きか嫌いかに分類すれば、好きなほうに入るヤツだったわけだ。

でも、やっぱり「ざまぁみろ」と思ってる自分がいた。

人の不幸を喜ぶ根性は男において顕著であるという研究結果がでたという記事を先日エキサイトニュースのRSSフィードで読んでた。そういう根性を「シャーデンフロイド」というんだそうだ。ドイツ語らしいがどういうスペルだ?"Shadenfreud"か?

今回のホリエモン騒動のインタビューを受けてた連中に、同じようにMRスキャン(磁気イメージングスキャンだそうだから、たぶんMRだろう)をやったらどうだったろう?

やっぱり男のほうがやっかみが強くて不幸を笑う率が高いんだろうな。

だって、普通じゃ考えられない金を湯水のように使い、きれいな女優さんたちと次々浮き名を流し…と、男の夢を実現してたわけだし。

できるものならホリエモンみたいに生きてみたいと思ってた男は多かったんじゃないか?

ま、このまま死んじゃわないで復活してくれることを祈るよ、俺は。

元記事

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by nawakatsunori | 2006-01-24 09:17 |
平和だ…
平穏無事な日々が続いている。

インフルエンザ感染者は少しずつ出てきてはいるものの、昨年ほどの勢いはない。

9日の当直は重症者がいたため、2時間おきに起こされて大変だったが、別に亡くなった方がいたわけではない。昨日の別の病院当直も重症者がいて、一応、すぐに駆けつけられるよう心構えはしていたが、朝まで何事もなく終了。

で、待機するのにしていたことは…

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何度目かの読み直しだが、レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』を読みながらDVD『BIRD』のミュージックトラックのみ再生、つまり台詞は再生させず映像と音楽を流していたということ。

『BIRD』以前にビデオかTVで見て、気に入ったのでいろんなDVDショップを巡ったのに見つからず、ネット通販で最近買ったばかりのDVD。熱狂的ジャズファンのクリント・イーストウッドが監督し、カンヌ映画祭等、世界中の絶賛を浴びた1988年の作品である。

『BIRD』は、言わずとしれたビ・バップの創始者にして、天才アルト・サックス奏者、チャーリー・パーカーのあだ名で、彼の伝記映画である。演奏はバード(ヤード・バード;Yard Bird ともいう)のものを復元したという優れもの。Forest Whitakerの演じるCharlie Parkerも見事。

ストーリーは買ってから一度観てるから、以前と併せて二回は観てる。ミュージックトラックのみ再生はこれで三回目か。

好きなサックスの名演(アルトよりテナーのほうが好きだけど)を聴きながら、好きなハードボイルド小説を読む。なんと至福のひとときであろうか。

60歳になったらリタイアして、海の見えるあたりに住んで、ジャズを聴きながら読書三昧にふける…そんな生活をしたいと思う。そんなことを考えているうちにまた一日が平穏に過ぎていく。

平和だ…

Tea For Twoでも聴いてくれ。←ファンサイト"Chasin' the Bird"からもらってきたバードのフレーズ
by nawakatsunori | 2006-01-13 12:04 |