ツールとしてのメール
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昨日の日経BPインタビュー記事で、『ケータイを持ったサル』などで有名な京都大学霊長類研究所の正高信男教授が「日本人にとってケータイは“自我の一部”」だとご高説を垂れていらっしゃるけど、そうか?

この記事の事例からはそういう面があることも否定しないが、メールの多用は日本人の奥ゆかしさに起因してる点もあるんじゃないかと考えている。

だって、電話って暴力装置でしょ、一種の。眠ってるときだろうと、性行為のときだろうと、うんこしてるときだろうと、飯食ってるときだろうと、相手の都合なんぞにいっさいお構いなしに呼び出しをかけてくるっての、暴力的だと思わないか?

メールならヒマを見て読んで返事も時間があるときにすればいい。忙しいヤツに連絡とるときはまずメール、これが現代の常識だと俺は思ってる。

友達に急ぎで電話することはあるけど、そう急がないときはまずメールで何時頃かければいいか尋ねて、指定の時間にかける。指定の時間にかけるときだって、今、話をしても問題はないかと聞いてから本題に入る。いくら親しい相手だって、相手の都合に合わせるのが当然だろう。電話したい用事があるってのはこっちの都合なんだから。

この記事の終わりのほうのリンク先のプレミアム記事には

──日本では、ITの普及によって、コミュニケーションにおいてはどういった変化が起こっていると思われますか。

正高: 例えば、教授の隣の部屋にいる学生がメールで連絡をしてきたりします。電話すらしません。「なぜ?」と聞くと、「顔をつき合わせて会話をするのは疲れる」と言うのです。

 日本人は、相手の顔を見てその人の気持ちを読みながら、人とコミュニケーションをとったり、自分の気持ちを表現したり伝えたりすることすら、厭うようになってきているのです。これは一種の“引きこもり”と言えるのではないでしょうか。

というのがあるが、俺は顔をつきあわせて話をするのが苦手どころか、いろんなひとと顔つきあわせて話がしたいと思う気持ちのほうが強いくらいだ。ネット上だけでのつきあいなんてのは、どちらかといえば嫌いだよ。

そういうこととは違って、相手の都合を考えたらメールで連絡、しかる後に電話、かくしてアポを取って会う、という手順を踏むためにメールを使ってる者もいるんだよね、教授!

モバイルポイントも充実してきてる昨今とはいえ、どこでもパソコンがネットに接続できるわけじゃない。ケータイはほぼどこででもつながる。だったらパソコンメールよりケータイメールを使うのもいいんじゃない?

まぁよく読めば、ケータイメールは単なるツールだと認識して使えってことだとわかるんだけど、アイキャッチのためとはいえ、「日本人にとってケータイは“自我の一部”」とまで言い切るのはどうか?

閑話休題

以前、ファミマに文句をつけた。たぶん、その返事だろうと思うが、電話が来た。クソ忙しい中、やっと昼休みになったてぇのに、なぜ電話なんかしてくるかなぁ。

Webから文句たれてるんだから、通常はemailでしょう、連絡は。訪ねてくるならまだしも、電話はないよ、電話は。いまどきメールだと失礼なんてこたぁねーよ、電話のほうが却って失礼だと思うぜ、俺。
by nawakatsunori | 2006-02-10 12:50 |
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