「この映画はホラーではない、実話である。」というのがキャッチフレーズの映画『
エミリー・ローズ』を観てきた。
たしかにホラーじゃねーな。統合失調症の症状を記録したものだし、実話だろうさ、そりゃ。
精神科医ではないから、観ているときは断言できなかったけど、20年以上前にならったおぼろげな記憶ででも、「え?これって、みんな精神分裂病(現在は統合失調症と病名変更)の緊張型で説明つくじゃん」と思ってた。で、昨日は旧い教科書やWebで統合失調症、精神分裂病を調べてたから書けなかった。
うん、やっぱり精神病理学的に説明可能だ(と思う)。
ホントにド田舎の荒野の一軒家に暮らす家族の長女が奨学金を得て都会の大学に行く。そこでepilepsyと思われる症状を示すようになり、次第にcatalepsyと思われる不自然な姿勢をとり続けるたりするようになる。幻覚・幻聴・幻臭などを知覚するようになる。薬はまったく効かない。のちに裁判の中で明らかになるのだが、叔母(エミリー本人のだったと思うけど…もしかすると父親のかも)が病名は明らかではないが精神病歴がある。
つまり、急激な環境の変化で素因(一般の有病率は0.8%程度であるが、分裂病の親を持つ子供の分裂病有病率は17%ほどで、孫は3%、一卵性双生児の分裂病一致率は80%であることなどから遺伝要因は否定できない。 しかし、正確な遺伝様式はまだ不明であるし、遺伝のみが病因とはいいかねる。:
「精神分裂病」より引用)のある少女が緊張型統合失調症を発症したということで説明がつく。
さて、いよいよ悪魔払いが行われる中で、アラム語(キリストやその弟子たちが話していたといわれる言葉)やラテン語やいくつかの言葉で神父をののしったりする。
これはどう説明するのかと考えていたら、ちゃんと裁判の中で種明かしがされる。なんだ、やっぱり精神病理学的に説明可能じゃないの。
さらに、抜毛等の自傷行為も明らかになり、聖痕(stigmata)も現れ…などなど、あまり詳しく書いちゃうと、これから観ようと思ってるひとに失礼だから、ここらでやめときます。ま、観に行く予定の方はぜひ統合失調症の基礎知識を調べておくべし、とだけ書いておこう。
蛇足だけど、聖痕は手のひらに現れるが、手のひらに釘を打ったのでは体重が支えられず、十字架に懸架するのはムリだとか。ホントの聖痕なら、手首あたりに出てこなくちゃね(映画の中では聖痕がどうして現れたかが、示される)。
アメリカ合衆国の裁判は検察と弁護士のパフォーマンス大会みたいな側面があるらしい。悪魔払い(と、それに基づく殺人?)は犯罪であると立証したい検察、悪魔払いは正しい(すなわち悪魔は実在する)と証明して無罪を勝ち取りたい弁護士、この両者の駆け引き、陪審員に対するアピール(パフォーマンス)は、けっこう見応えがあったし、ラストの陪審の健全な評決と、それを受けた裁判長の粋な判決にはうならされ感動した(ネタバレになるから書かないけどね)。
いみじくもLaura Linneyが演じる弁護士が自らを「agnositic(不可知論者)である」と何度もいい、最後までいっているが、弁護士自身は不可知論者でそういう超常現象を疑っている。対する検察官はメソジスト派だったか何かで(忘れた。被告人のカソリックとちょっと違う宗派だってことだけわかればいいみたい。主席検事を選任する場面で、なんとなくそう臭わせてる)、裁判の冒頭で自らを信者だと明言する。こっちは神や悪魔を信じてるってことだ。
信じてない(ってか、不可知だと考えている)弁護士(ってわりには超常現象を体験しちゃったりしてるけど…映画ですから)が、信じてる検察官に悪魔の実在・悪魔払いの正当性を主張する。逆に言えば、信じてる検察官が信じてない弁護士に悪魔の不在(と、までは云わないけど)・悪魔払いの不当性を訴える。その逆転の構図の妙が、この映画のひとつの見所であると思う。
神や悪魔を信じる信じないはどうでもいいわけだ、要するに。パフォーマンスを通じていかに陪審員に自分の主張を信じさせるかが問題なんだよね、陪審裁判制度って。日本でもそのうちそうなるみたいだけど、この映画の中の陪審員みたいな健全な判定が下せるのかね、我々日本人は。
もうひとつのポイントは、主要な登場人物に悪意のある人がいないってことね。被害者のエミリー・ローズも、その家族、彼氏はもちろん、被告の神父もみな善意の人。エミリーは神父を信じてるし、親も神父にすがってる。弁護士も別の裁判で悪党を弁護して無罪にしてしまったことを後悔していて、明らかに悪意のない神父を救いたいと思っている。検察官もその裁判に心苦しさを感じつつも職務を果たさねばならない義務を負っている。最近珍しいね、いいひとばっかりって。だから、裁判長の裁決がなかなか粋なものと感じたのだと思う。
そういう裁判ものとしてみたら、俺には面白いと感じさせてくれる映画だった。
※特に若い人たちは、
オカルトものとして観てはいけないと思う。この世の中に不思議なものなどないのだよ、セキグチ君(京極堂の真似)。